激しい時代の狭間に生き残りを賭ける小さな食品製造販売会社の日々を追う・・・・
2025年2月
始まりは「私の会社の事業が借金返済で立ちゆかない状態となっているのでなんとかして欲しい」という知り合いの社長からの電話だった。その会社は「(有)雲金山水」という狩野川沿いの従業員20名の老舗の豆腐製造・販売会社で、1.厳しい経営が三年間続いている 2. 銀行返済が滞ってる 3.大口の取引注文が途絶えた・・等の現状の事業概要を電話口に聞いた。詳しい財務内容は私の知り合い弁護士同席で聞くこと良いと判断して2月23日日曜日に都内の弁護士2名、山水の会長、社長と私の5名が都内の弁護士事務所に集まった。一通りの状況説明を若木屋から聞いた後、弁護士の判断は「事業再生」申請までに「粗利をプラスに、少なくともゼロの状態に持って行く」こと、売上が比較的良いのでもう少し頑張って見れば先が見えるでしょう、だった。私には ①倒産の状態 ②家族への影響 ③再生費用の捻出 特に①と②が何処まで絶えられるかという厳しい投げかけと受け止めた。これからは更に「三ムの教え」を徹底して今の日常ををひたすら続けるよう励ました。古人の諺「無理せず、斑を恐れず、無駄を知る」だ。つまり「身の丈に合わせ、片寄らず、視点を変える」という基本の遵守である。
2025年3月
夕方山水の社長から電話が入った。「創業時から世話になったお得意様の「スーパーあお半」、今は訳あって取引中止となっている。しかし背に腹は代えられない状態で何とか再度の取引のお願いを一緒に行って欲しい。向こうは簡単に会ってくれない状態となっているので直接スーパーあお半の社長に話す機会を作って欲しい」と言う内容だった。次の日秘書に面会依頼の電話した。知り合いに電話し支援を依頼し返事を待ったが結果は「門前払い」で、あお半の社長はもとより秘書からも何の連絡も無く、後日担当者と思われる方から「会う必要はない」という連絡だったと・・・。リベンジ!!
2025年5月
5月10日、山水社長から電話が入った。「主要借入融資先の信用金庫から話合いをしたいと云ってきた。就いては一緒に出て欲しい」という依頼だった。5月23日午前11時から信金修善寺支店で、向こう三名、こちらから社長、経理関連担当と私の三名と決定した。当日朝5時半家を出て新幹線横浜駅から修善寺駅へ、そこから東海バス河津行きに乗り天城小学校前で下車、徒歩15分で豆腐製造工場へ到着、おおよそ3時間の長旅だった。玄関で丁度仕事中の社長の息子にあったので紹介がてら写真に収めた。3月に高校を卒業、家業を継ぐつもりだそうだ。頼もしい助っ人だ。

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